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更新に間が空いてしまいました…
今日、一年以上ぶりにサイバニクスサロンに行ってまいりました!
この間も何度も開催されていたのですが、日程的になかなか合わず、断念…
そしてこれが最終回という…!残念ですが、何かしらまた、こうして芸術の学生がこっそり聴きに入れるイベントを是非開催してほしいですね!
と、その前にこのブログ(サイバニクス回)を発表者ご本人様がご覧になっていたとは…恐縮です!最近ブログをサボっていたこともあり(?)文章力なんかも怪しいところですが、のほほんとお付き合いください~(解釈間違いなど気軽にツッコミをください>_<)
今回は整形外科の落合先生のお話で、テーマは「整形外科における工学との協同」でした。確かに、かのHALを見ていても、医学と工学のタッグの可能性って計り知れない!と思います。
今回落合先生は、神経の治療についてお話されました。ランビエ絞輪、懐かしい!
脚延長や首長族の事例のように、「メカニカルなストレスをかけ続けることで周りの組織がそれに順応していく」ということを応用して、神経も伸ばして繋ぐことができるのではないか?という研究をされているそうです。
研究の結果、末梢神経部分欠損を神経伸長のみで修復する方法を開発したとのこと…要は、切れて縮んだ神経を繋ぐには従来なら他の所から移植する必要があったのですが、切れた神経を少しずつ引っ張って伸ばし、繋ぐことが出来るらしい!といった内容でした。(すごく端折ってしまい申し訳ないです…)
しかも痛くないそうです!(オスグッド病とか骨折とかをやった身としては、引っ張って痛くないの~!?とそわそわしてしまうのですが…!)
この結果、神経を繋ぐために
(1)切るのは1箇所でOK!
(2)他の部位から神経ドナーを持ってくる必要なし!
(3)(神経ドナーを用いる際、血行は無いが)血液が通ったまま繋ぐことができる!
というメリットが生まれたそうです。
今のところHALでは完全麻痺のケースには対応できないということだったので、こういった研究を基にして、また新たな「誕生」の可能性が出てくるということですね!楽しみです。
因みに、我らの宿敵GKBRは、脚の途中の部分を切り取って根元と末端をくっつけておくと、途中の部分が再生されて元通りになるそうです!ひえ~~
工学系では生体にモノをプラスしたり置き換えたりして(例えば「歩ける」「演奏できる」ように)支援する、つまり目的としての「行動」をいかにアシストするか、という形をとりますが、医学系では基盤である生体をまず「治す」ことが前提にあり、それによって行動を「できる」ようになるのは次の段階なのでは、という旨のお話もありました。
プロダクトデザインも、課題→解決という流れで、基盤を作るというのは裏テーマであったり、あまり積極的に表に出てこない気もします。
逆にブランディングやまちづくり等、形の見えないデザインでは、流通や考え方等、基盤作りがメインですよね。
また、プロダクトはメンテナンスが必要で、どんなに優れた素材でも劣化していく一方ですが、生体は自分で勝手にメンテナンスして(時には治療も要りますが…)本人も気付かないうちに代謝していることを考えると、やっぱり生き物ってすごいなと思います。言うなれば神様のプロダクトですからね!
少し話がずれますが、芸術出の作り手(デザイナー)にできることって…強みって何だろう、と思ってしまうのです。
正直に書きますと、医学は、芸術とかよりも、工学と組みたいんだ…的なお話を耳にして、悔しいけど今の自分って、まさにそこの意味での「芸術」だなと思いました。
勿論、芸術出でそのアイディアと設計力で大活躍されている方も多くいらっしゃるかとは思うのですが、工学系でもない、美大出でもない…良く言えば、どちらの作業も薄ら出来る?
ものの「美しさ」を失くさないためのお目付け役でしょうか?でも、工学的な機能美ってありますよね…効率を突き詰めた美しさ、のような。
例えば病院関係のプロダクトであったら、こころに重点を置けるとか…そういうことでしょうか?う~ん…
大変お恥ずかしながら、迷子になっております^^;
異分野のイベントに参加すると毎回思うのですが
高校生の頃は国語数学…と教科があるので、頭のいろんな部分を使ってる感覚がありましたが、専門化してくるとどうも頭が凝り固まりそうなのです。
今日知ったことが直接「デザイン演習」に関係するなんてことはほぼ無いですが、頭の違う部分を刺激されてアイディアが浮かぶってことも、確かにあるんですよね。
そしてまた、一人だけ芸術な池田に話しかけていただき嬉しかったです^^お世話になりました!
今日、一年以上ぶりにサイバニクスサロンに行ってまいりました!
この間も何度も開催されていたのですが、日程的になかなか合わず、断念…
そしてこれが最終回という…!残念ですが、何かしらまた、こうして芸術の学生がこっそり聴きに入れるイベントを是非開催してほしいですね!
と、その前にこのブログ(サイバニクス回)を発表者ご本人様がご覧になっていたとは…恐縮です!最近ブログをサボっていたこともあり(?)文章力なんかも怪しいところですが、のほほんとお付き合いください~(解釈間違いなど気軽にツッコミをください>_<)
今回は整形外科の落合先生のお話で、テーマは「整形外科における工学との協同」でした。確かに、かのHALを見ていても、医学と工学のタッグの可能性って計り知れない!と思います。
今回落合先生は、神経の治療についてお話されました。ランビエ絞輪、懐かしい!
脚延長や首長族の事例のように、「メカニカルなストレスをかけ続けることで周りの組織がそれに順応していく」ということを応用して、神経も伸ばして繋ぐことができるのではないか?という研究をされているそうです。
研究の結果、末梢神経部分欠損を神経伸長のみで修復する方法を開発したとのこと…要は、切れて縮んだ神経を繋ぐには従来なら他の所から移植する必要があったのですが、切れた神経を少しずつ引っ張って伸ばし、繋ぐことが出来るらしい!といった内容でした。(すごく端折ってしまい申し訳ないです…)
しかも痛くないそうです!(オスグッド病とか骨折とかをやった身としては、引っ張って痛くないの~!?とそわそわしてしまうのですが…!)
この結果、神経を繋ぐために
(1)切るのは1箇所でOK!
(2)他の部位から神経ドナーを持ってくる必要なし!
(3)(神経ドナーを用いる際、血行は無いが)血液が通ったまま繋ぐことができる!
というメリットが生まれたそうです。
今のところHALでは完全麻痺のケースには対応できないということだったので、こういった研究を基にして、また新たな「誕生」の可能性が出てくるということですね!楽しみです。
因みに、我らの宿敵GKBRは、脚の途中の部分を切り取って根元と末端をくっつけておくと、途中の部分が再生されて元通りになるそうです!ひえ~~
工学系では生体にモノをプラスしたり置き換えたりして(例えば「歩ける」「演奏できる」ように)支援する、つまり目的としての「行動」をいかにアシストするか、という形をとりますが、医学系では基盤である生体をまず「治す」ことが前提にあり、それによって行動を「できる」ようになるのは次の段階なのでは、という旨のお話もありました。
プロダクトデザインも、課題→解決という流れで、基盤を作るというのは裏テーマであったり、あまり積極的に表に出てこない気もします。
逆にブランディングやまちづくり等、形の見えないデザインでは、流通や考え方等、基盤作りがメインですよね。
また、プロダクトはメンテナンスが必要で、どんなに優れた素材でも劣化していく一方ですが、生体は自分で勝手にメンテナンスして(時には治療も要りますが…)本人も気付かないうちに代謝していることを考えると、やっぱり生き物ってすごいなと思います。言うなれば神様のプロダクトですからね!
少し話がずれますが、芸術出の作り手(デザイナー)にできることって…強みって何だろう、と思ってしまうのです。
正直に書きますと、医学は、芸術とかよりも、工学と組みたいんだ…的なお話を耳にして、悔しいけど今の自分って、まさにそこの意味での「芸術」だなと思いました。
勿論、芸術出でそのアイディアと設計力で大活躍されている方も多くいらっしゃるかとは思うのですが、工学系でもない、美大出でもない…良く言えば、どちらの作業も薄ら出来る?
ものの「美しさ」を失くさないためのお目付け役でしょうか?でも、工学的な機能美ってありますよね…効率を突き詰めた美しさ、のような。
例えば病院関係のプロダクトであったら、こころに重点を置けるとか…そういうことでしょうか?う~ん…
大変お恥ずかしながら、迷子になっております^^;
異分野のイベントに参加すると毎回思うのですが
高校生の頃は国語数学…と教科があるので、頭のいろんな部分を使ってる感覚がありましたが、専門化してくるとどうも頭が凝り固まりそうなのです。
今日知ったことが直接「デザイン演習」に関係するなんてことはほぼ無いですが、頭の違う部分を刺激されてアイディアが浮かぶってことも、確かにあるんですよね。
そしてまた、一人だけ芸術な池田に話しかけていただき嬉しかったです^^お世話になりました!
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1月3日、成人式に出席してまいりました。
祝日としての「成人の日」は1月10日ですが
我が故郷の場合、他県にいる若者らも確実に帰省しているであろう3が日のうちに済ませてしまおうということで、ちょっと早く成人するんです。(そのくせ自分は早生まれなのでまだ19歳ですが…。)
久々の顔ぶれは、まさにクイズ。お化粧されていても大体見当が付きますが、分からない人は本当に分かりません。
感激したのは、中学校を卒業する際に、担任の先生にお渡しした自作の詩集(!)を、今もまだ持っていてくださったことです。
当時、詩集なんて後々恥ずかしいだろうなと思いつつ、
どんなに拙いものだとしても、本気でそれを書いたころの自分を否定したくは無かったので、
当時お世話になった先生に思い切ってお渡しした訳です。
成人式と同窓会を見ていて、何でもそういうものなんだと思いました。
次にこれだけのメンバーが集まるのは、早くても30歳のころでしょうか。兎角、だんだん集まりも悪くなるでしょうし、だんだん落ち着いてくるでしょう。
張り切ってお化粧して、お洒落して、目立とうとして…こんな「今」のことを思い返して、あの頃はバカだったよな~とか、さすがに皆若かったな~とか、きっと言うのでしょうけれど、
もう子どもでもなく、大人にもなりきれていない、この微妙な時間の中にいることは、これっきりなのですよね。
何となく過ぎる一瞬一瞬が、きっと全てそんな貴重なものなのでしょうけれど、やっぱりこういう節目のときには、顕著に思います。
11月26日に開かれた、第13回サイバニクス・サロンに、
こっそり参加させていただきました。
「身体・生理特性を利用した新しい人支援技術に向けて」というポスターを偶然見かけて良かったと思います。
文系出身で数3・cも知らない私が、こんなところに来て良いものか…というためらいもありましたが、
以前の記事で書いたとおり、デザイン系の人々で構成された世界にいると、大分考えが固定されてしまうので、いろんな分野の方々が、どんなことを研究、実践されているのかを垣間見ることができて新鮮でした。何より、一人で来てしまって緊張していた私に話しかけて頂いて、とても嬉しかったです!
特に、演奏支援についてのお話は大変面白く、人支援技術について考える素敵なきっかけとなりました。
人支援技術とは、人が必要なときに必要な支援をするもの、必ずそこに意思・意図があるものだと聞いたときは、デザイン系でよく耳にする「ヒューマン・センタード・デザイン」の考えに通じるものがあるなと思いました。
また、自律分散的アプローチのお話は、結構デザイン学生に受けるものでした。蟻塚や鳥の群れ、イワシの群れなどのように、小さな、ローカルなシステムが結果として全体に表れる、というのは、表現の世界でも面白い題材です。生物的な行動・システムも大好物ですね。あと、小さな部分から結果的に全体が構成されるということで、ペンローズ・タイルを思い出しました。
以前、デザイン系以外の人がもつ「デザイン」のイメージが、デザインと乖離していると書きましたが、それは他の、ほとんどの分野でも言えることなのだろうなと思いました。知ろうとしなければ、分かったつもりにすらなれない。大学という特殊な機関だから尚更、なのかもしれませんが、デザインに関わる者としても、自分から進んで知ろうとする気持ちを大切にしたいと思いました。
こっそり参加させていただきました。
「身体・生理特性を利用した新しい人支援技術に向けて」というポスターを偶然見かけて良かったと思います。
文系出身で数3・cも知らない私が、こんなところに来て良いものか…というためらいもありましたが、
以前の記事で書いたとおり、デザイン系の人々で構成された世界にいると、大分考えが固定されてしまうので、いろんな分野の方々が、どんなことを研究、実践されているのかを垣間見ることができて新鮮でした。何より、一人で来てしまって緊張していた私に話しかけて頂いて、とても嬉しかったです!
特に、演奏支援についてのお話は大変面白く、人支援技術について考える素敵なきっかけとなりました。
人支援技術とは、人が必要なときに必要な支援をするもの、必ずそこに意思・意図があるものだと聞いたときは、デザイン系でよく耳にする「ヒューマン・センタード・デザイン」の考えに通じるものがあるなと思いました。
また、自律分散的アプローチのお話は、結構デザイン学生に受けるものでした。蟻塚や鳥の群れ、イワシの群れなどのように、小さな、ローカルなシステムが結果として全体に表れる、というのは、表現の世界でも面白い題材です。生物的な行動・システムも大好物ですね。あと、小さな部分から結果的に全体が構成されるということで、ペンローズ・タイルを思い出しました。
以前、デザイン系以外の人がもつ「デザイン」のイメージが、デザインと乖離していると書きましたが、それは他の、ほとんどの分野でも言えることなのだろうなと思いました。知ろうとしなければ、分かったつもりにすらなれない。大学という特殊な機関だから尚更、なのかもしれませんが、デザインに関わる者としても、自分から進んで知ろうとする気持ちを大切にしたいと思いました。
note:2
日本デザイン学会秋季企画大会の感想、第2段です。
テーマが「地域再生デザイン学の実践と構築」ということで、地元に貢献したいという漠然とした思いをもちつつ、うろうろしている私にとっては、まさに!という内容が多かったです。
特に、九州大学、小石原焼のプロジェクト「Coccio」は、親近感も湧き相当メモしました。
地域再生といっても、ただ単に世界との繋がりだとか、多くの後継者だとかを求める訳にはいかないんですよね。もともとは自分たちの小さな村で生活に足るだけ作ってきた、とてもローカルなものですから、必要性が無ければむやみやたらなことはしなくていい、というのも頷けます…。
あと、NECさんが田んぼ作りプロジェクトをなさっているのも初めて知りました。収穫したお米でお酒を造るって、面白そうですね。今回は、特別にこのお酒も配られていました。私は未成年なので、残念ながら頂けませんでしたが…!
学生の方々の作品を拝見することもできました。
自分と同じくらいの世代の方々(しかも違う大学の)が、どんなことを考えて、どんなものを作ろうとしているのか…勿論全部分かり切った訳ではありませんが、とても貴重でした。勉強になりました!
また、なぜその形なのか。その形であることを活かせているか、ということを改めて考えさせられました。
個人的には、将棋セットがすごく好きでした。新たな「かたち」にするにあたって、将棋の駒を打つ音や触角を大切にした、というところが素敵です。そういうの、大切だと思います。
日本デザイン学会秋季企画大会の感想、第2段です。
テーマが「地域再生デザイン学の実践と構築」ということで、地元に貢献したいという漠然とした思いをもちつつ、うろうろしている私にとっては、まさに!という内容が多かったです。
特に、九州大学、小石原焼のプロジェクト「Coccio」は、親近感も湧き相当メモしました。
地域再生といっても、ただ単に世界との繋がりだとか、多くの後継者だとかを求める訳にはいかないんですよね。もともとは自分たちの小さな村で生活に足るだけ作ってきた、とてもローカルなものですから、必要性が無ければむやみやたらなことはしなくていい、というのも頷けます…。
あと、NECさんが田んぼ作りプロジェクトをなさっているのも初めて知りました。収穫したお米でお酒を造るって、面白そうですね。今回は、特別にこのお酒も配られていました。私は未成年なので、残念ながら頂けませんでしたが…!
学生の方々の作品を拝見することもできました。
自分と同じくらいの世代の方々(しかも違う大学の)が、どんなことを考えて、どんなものを作ろうとしているのか…勿論全部分かり切った訳ではありませんが、とても貴重でした。勉強になりました!
また、なぜその形なのか。その形であることを活かせているか、ということを改めて考えさせられました。
個人的には、将棋セットがすごく好きでした。新たな「かたち」にするにあたって、将棋の駒を打つ音や触角を大切にした、というところが素敵です。そういうの、大切だと思います。
早くも停滞ブログですみません…!昨日、デザイン演習の最終プレゼンが終わりまして、やっとこさ他の作業に移れます。レポート山積ですが…(筑波は3学期制なので今の時期が学期末)
遅れ馳せながら、11月13日(土)に筑波大学の大学会館で開かれました、「日本デザイン学会秋季企画大会」のことについて、感想を書かせて頂きたいと思います。
今回思ったのは、
農業・医療・工場内・工事現場など、製品の改善を必要としている分野がまだまだあるということ、です。
「残り90%の人ためのデザイン(Design for the other 90%)」とはよく言われていますが、
その前に日本の中だけでも、ちょっと見る方向を変えれば、デザイン(改善)の余地が多くあるのだと実感しました。
前回の記事でも少し触れましたが、やはり「ユニバーサルデザインを意識して」ということが多々ありました。
色覚障害によるデメリットが生じないようにしてあったり、
熟達度に応じた(初心者にとっては分かり易く、熟練者にとっては効率よく作業を行うことができる)ものであったり。特によく耳にしたのは「直感的操作」という言葉でした。
また、個人で理解できたり作業できたりするだけでなく、(日本人的な)習熟の場・システムの形成も、ありなのでは、という意見もありました。
人にとって本当に良いデザイン、底なし沼のようです。
そして、これは日々いろいろなところで思い当たることなのですが、
デザイン系の人々(学生・教授含む)とばかり話をしているとその世界に慣れてしまうといいますか、
そうでない人と話したときに、「デザイン」について乖離が生じます。
今回、「見た目が…」「実現は難しいですが…」という言葉でそれを思い出しました。
確かに私自身、特に工学の知識がある訳でもなく、実際に作ってみたら失敗した、ということは多くあります。
しかし、極端にいえば「見た目重視!あとは知らん!」ってのは、デザイナーではないですよね。
デザインは、都合の悪いものを覆い隠すための単なる皮膚ではないはずです(だからといってデザインの何たるかを語れるほどでもありませんが…!)
もっと勉強します。
ところで、私たちのような暮らしの「デザイン」を享受していない、発展途上国など世界の90%の人のためのデザインについて、前半で少し触れました。与えられる変化が大きく、とてもやりがいがあると思いますし、やってみたいなとは漠然と思いますが、ただ、こういったデザインの大変なところは、それだけでは生活していけないということですよね…。本腰を据えないとやっていけませんが、お金儲け向きのものではないので…だから悪循環に陥ってしまうのでしょうけれども…。そういう流れは、どんどん変えていきたいところです。助成してくれないかな…
というところで、note:2 に続きます!
遅れ馳せながら、11月13日(土)に筑波大学の大学会館で開かれました、「日本デザイン学会秋季企画大会」のことについて、感想を書かせて頂きたいと思います。
今回思ったのは、
農業・医療・工場内・工事現場など、製品の改善を必要としている分野がまだまだあるということ、です。
「残り90%の人ためのデザイン(Design for the other 90%)」とはよく言われていますが、
その前に日本の中だけでも、ちょっと見る方向を変えれば、デザイン(改善)の余地が多くあるのだと実感しました。
前回の記事でも少し触れましたが、やはり「ユニバーサルデザインを意識して」ということが多々ありました。
色覚障害によるデメリットが生じないようにしてあったり、
熟達度に応じた(初心者にとっては分かり易く、熟練者にとっては効率よく作業を行うことができる)ものであったり。特によく耳にしたのは「直感的操作」という言葉でした。
また、個人で理解できたり作業できたりするだけでなく、(日本人的な)習熟の場・システムの形成も、ありなのでは、という意見もありました。
人にとって本当に良いデザイン、底なし沼のようです。
そして、これは日々いろいろなところで思い当たることなのですが、
デザイン系の人々(学生・教授含む)とばかり話をしているとその世界に慣れてしまうといいますか、
そうでない人と話したときに、「デザイン」について乖離が生じます。
今回、「見た目が…」「実現は難しいですが…」という言葉でそれを思い出しました。
確かに私自身、特に工学の知識がある訳でもなく、実際に作ってみたら失敗した、ということは多くあります。
しかし、極端にいえば「見た目重視!あとは知らん!」ってのは、デザイナーではないですよね。
デザインは、都合の悪いものを覆い隠すための単なる皮膚ではないはずです(だからといってデザインの何たるかを語れるほどでもありませんが…!)
もっと勉強します。
ところで、私たちのような暮らしの「デザイン」を享受していない、発展途上国など世界の90%の人のためのデザインについて、前半で少し触れました。与えられる変化が大きく、とてもやりがいがあると思いますし、やってみたいなとは漠然と思いますが、ただ、こういったデザインの大変なところは、それだけでは生活していけないということですよね…。本腰を据えないとやっていけませんが、お金儲け向きのものではないので…だから悪循環に陥ってしまうのでしょうけれども…。そういう流れは、どんどん変えていきたいところです。助成してくれないかな…
というところで、note:2 に続きます!
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